僕と山 ~僕は山が嫌いだった 前編~
ワタクシも今年で登山歴5年目。
実はいうと前は山が嫌いでした。
その原因はやはり山。
発端は中学1年生の夏休み。
それまで3年間ほど家族旅行で毎年夏のお盆明けに上高地に3泊4日の旅行を行ってました。
当時はまだ登山ではなく嘉門次小屋まで歩いたり、大正池を眺めたり。
または乗鞍高原からバスに乗って畳平を散策や立山をハイキング程度の行楽で私と両親の3人でバカンス的な事で満足をしてました。
そして中学1年の夏。
いつもとは計画が変わり、その年は雷鳥荘に泊まって初めての山小屋体験を両親は考えていたようで、僕もいろいろと道具を揃えてた記憶があります。
ただ直前になって風邪を引いてしまい医者に診てもらったところ「これくらいの風邪は山いきゃ治る」とどう考えても『んなわけねえだろこの藪医者が!』と今なら言えることを母親は信じてしまい、不調の中早朝に出発。
当時は今ほど効率の良いルートが無くて5~6時間以上掛ったかな?
案の定体調悪化。
僕は車の中で待つとごねるもそんなのできるわけないだろと強引に連れてかれトロリーバスに乗ってロープウェーに乗って待ち受けるはそう『高山病』。
頭は痛いし気持ち悪いし辛いしもう地獄のような数時間でした。
僕は両親に励まされながら辛うじて雷鳥荘に着きそのまま大部屋でダウン。
たまたま医学生の人が居て、このままじゃ危ないので今すぐ下山しなさいと言われもう夕方で暗い中、山小屋の人たちに担架で救急車が来れるところまで運ばれて行きました。人生初の救急車を確か二台乗りついたかな?古いタイプと新しいタイプで乗り心地が全然違うことは覚えてる。
岐阜県側の救急病院に搬送されて点滴打たれて良くなったからその日は近くの民宿だったかビジネスホテルに泊まったと思う(記憶がもう定かじゃなくなってます)。
余談ですが両親は先生に『なんで風邪引いてるときに連れてきたんだ!』と怒られたようで(当たり前だ)。
そしてそのあと長野県側に
行くためふらふらしながら僕らはまた立山を交通機関使って超えていくという死人に鞭打つことをしながら・・・嗚呼あの時の辛さは二度と嫌!
若干のトラウマがまだ残る程辛く苦しい工程を経て長野県からそのまま茨城県へと父親が高速道路をほとんど休むこともなく走らせ僕はめでたく入院。
いろいろと端折ってはいましたがこれが発端となり僕は33歳の夏になるまで山が嫌いになってしまいました。
そんな自分が山にハマったきっかけは家族旅行で小布施に訪れたことがきっかけなのですが長くなったので後半へ。
まったく山の画像もなくて文書だけのブログなんてだれも読まないだろうなあ・・・。